生存
2004年10月22日最終回に向け、
俄然盛り上がってきました。
作画も良好。
とゆうか今までで最も良かったです。
正直なところ今回で最終回でも良かったかもしれません。
ちょうどレイズナーの26話みたいな終わり方ですね。
ん?25話か。
いったいどーなったんだぁー
という終わり方。
いや、まぁレイズナーはその後も続くんですけどね。
とにかく、私的な意見で言わせてもらえば、
今回で幕を引いても良かったかも。
そう思える内容でした。
それだけちょっとショックというか、
衝撃的なことが私の脳内で繰り広げられたわけで。
バイオリンを弾いているメノリに絡みに行くハワード。
この星に来たときのことを思い出しながら語り合う、
シャアラとベル。。。
ちょぉっと待てぃ。
ハワードxシャアラじゃないんかい!
・・・ではなくて・・・
51話前半部分でルナとカオルの口から繰り返される、
「生きる」
という言葉。
ようやく思い出しました。
「君は生き延びることができるか」
ガンダムの次回予告最後に繰り返されていたこの言葉。
サヴァイヴを見ていく上で、
幾度となく感じていた既視感。
これだったんですねぇ。
やっとすっきりした。
今まで散々物語中で描かれてきて、
題名も「サヴァイヴ」
だったのに、
気が付かないとは私も耄碌したもんだ。
いや、まじで。
・・・既視感は言葉的に正しくないか。
一度経験してるんだし。
まぁでも私の限られた語彙力で、
この感覚をうまく表現した言葉はこれしかないので。。。
何かを守る。
何かの為に戦う。
これって凄い良いことだし、
美しいことだとは思います。
そういう行為に感動を覚えたりもします。
でもね。
でも、ガンダムで描かれていたのは、
そうじゃなくって、
「生きる」
ことだったって思うんです。
特にそれが強く感じられるのが、
ニュータイプについて考えてみたとき。
なんでアムロはニュータイプになれて、
シャアやララァはなりきれなかったのか。
その違いが、
生きるために戦っていた者と、
誰かを、何かを守るために戦っていた者。
その違いなんじゃないかなぁと思うわけです。
ちょうどこんなセリフがありますよね。
ララァ「何故、何故なの?
何故あなたはこうも戦えるの?
あなたには守るべき人も、
守るべき物もないというのに」
何かを守るってつまるところ、
守りたい何かに対する敵がいるわけですよね。
何かを敵視するって、
ニュータイプっぽくないでしょ?
「わかりあえる」のがニュータイプなんですから。
そして、ルナたちも、
最初は人間を敵視していたサヴァイヴとわかりあい、
「生きるため」に重力嵐に立ち向かっていくわけです。
・・・で、最終回。
彼らは生き抜いてくれると信じています。
語られ尽くしているし、
みんながそれぞれ持ってるだろうニュータイプ論だけど、
この考えって自分の中で気に入ってたんですよね。
で、今回改めて結構正しかったんでは?
と悦に入ってるわけです。
一人でにやにや。
だからだいぶ満足中なのです。
俄然盛り上がってきました。
作画も良好。
とゆうか今までで最も良かったです。
正直なところ今回で最終回でも良かったかもしれません。
ちょうどレイズナーの26話みたいな終わり方ですね。
ん?25話か。
いったいどーなったんだぁー
という終わり方。
いや、まぁレイズナーはその後も続くんですけどね。
とにかく、私的な意見で言わせてもらえば、
今回で幕を引いても良かったかも。
そう思える内容でした。
それだけちょっとショックというか、
衝撃的なことが私の脳内で繰り広げられたわけで。
バイオリンを弾いているメノリに絡みに行くハワード。
この星に来たときのことを思い出しながら語り合う、
シャアラとベル。。。
ちょぉっと待てぃ。
ハワードxシャアラじゃないんかい!
・・・ではなくて・・・
51話前半部分でルナとカオルの口から繰り返される、
「生きる」
という言葉。
ようやく思い出しました。
「君は生き延びることができるか」
ガンダムの次回予告最後に繰り返されていたこの言葉。
サヴァイヴを見ていく上で、
幾度となく感じていた既視感。
これだったんですねぇ。
やっとすっきりした。
今まで散々物語中で描かれてきて、
題名も「サヴァイヴ」
だったのに、
気が付かないとは私も耄碌したもんだ。
いや、まじで。
・・・既視感は言葉的に正しくないか。
一度経験してるんだし。
まぁでも私の限られた語彙力で、
この感覚をうまく表現した言葉はこれしかないので。。。
何かを守る。
何かの為に戦う。
これって凄い良いことだし、
美しいことだとは思います。
そういう行為に感動を覚えたりもします。
でもね。
でも、ガンダムで描かれていたのは、
そうじゃなくって、
「生きる」
ことだったって思うんです。
特にそれが強く感じられるのが、
ニュータイプについて考えてみたとき。
なんでアムロはニュータイプになれて、
シャアやララァはなりきれなかったのか。
その違いが、
生きるために戦っていた者と、
誰かを、何かを守るために戦っていた者。
その違いなんじゃないかなぁと思うわけです。
ちょうどこんなセリフがありますよね。
ララァ「何故、何故なの?
何故あなたはこうも戦えるの?
あなたには守るべき人も、
守るべき物もないというのに」
何かを守るってつまるところ、
守りたい何かに対する敵がいるわけですよね。
何かを敵視するって、
ニュータイプっぽくないでしょ?
「わかりあえる」のがニュータイプなんですから。
そして、ルナたちも、
最初は人間を敵視していたサヴァイヴとわかりあい、
「生きるため」に重力嵐に立ち向かっていくわけです。
・・・で、最終回。
彼らは生き抜いてくれると信じています。
語られ尽くしているし、
みんながそれぞれ持ってるだろうニュータイプ論だけど、
この考えって自分の中で気に入ってたんですよね。
で、今回改めて結構正しかったんでは?
と悦に入ってるわけです。
一人でにやにや。
だからだいぶ満足中なのです。
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